作曲家・新実徳英さんが作曲し、会の創設者である詩人・谷川雁さんが作詞をした『白いうた青いうた』は、今では一般の合唱団でも広く歌われている合唱曲集です。会の中では、ふだんのパーティでとり組んだり、キャンプや合宿などみんなが集まる場で歌われたり、お母さんたちが合唱団をつくったり、いろいろなシーンで歌われています。
ものがたり文化の会の合唱団「かたつむり楽団」は月1回主に都内で活動しています。
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谷川雁「三世代リレーからの贈物」
あなたのお父さんがまず曲をつくり、なんとおじいさんが詞をつけ、十代のあなたがそれを歌うということになったら、おうちの空気はどうなります。盆栽までにやにやし、冷蔵庫がかたこと踊りだしはしませんか。だってちょっぴりジャスミンの香りする節で「ほしぞらにくしや まふゆのひとりたび」とくるんですからね。こまったような恥ずかしいような、それでも試験がいやなときなど冷たい飲物よりも気分転換になる。そんなものをこさえてみたかったのです。
あなたのおじいさん、つまりぼくが十代だった戦争のさなかでも軍歌ばかり歌ったわけではなく、流行の歌曲も映画の主題歌も気ばらしに愛唱しましたが、心にしみるものはむしろ外国のりんとした歌曲で、それでもどこか借り着をしているよそよそしさがつきまとうのを避けられませんでした。せまる死の影と首すじをなでる十代の風。その両方をなめらかに一つにまとめる母国語の歌がほしいとおもいました。
戦争が終っても、十代の明暗を率直に告白して気品を失わない歌は多くありません。この世への敏感な反応をかくして静かに紅潮している時期は、自分の方から愛とか恋とかのことばは持ちだせません。ヴェトナム難民、ベルリンの壁、旧満州孤児などの時事問題にある抒情性を表現するのも年少者にはむずかしいことです。それだけにアドレッセンス前期の感情を年長者が歌のかたちできっぱり〈代弁〉してやる必要があるのです。でないとやたらにどなったりだまりこんだり、歌うことのない心ができてしまう恐れがあります。
ではぼくのような偏屈な人間に十代の代理人がどうしたらつとまるでしょうか。新実さんという世代の中継点から毎月届けられるしゃれた曲と、つぎつぎに歌ってみてくれる孫の世代にあたる「ものがたり文化の会」の若い合唱団の協力が必要でした。微笑をかわす三世代リレーの産物を受けとってください。
(『白いうた 青いうた1』音楽之友社 1991年8月25日発行「はしがき」より)